仏教説話 |
以下、法華会理事春日屋延子(ペンネーム:石上みね)が ![]() 宗教文化誌『法華』に昭和59年(1984年)5月から連載した 『聞き語り お釈迦さまのお弟子たち』の中から、 いくつかの仏教説話をご紹介します。 なお『聞き語り お釈迦さまのお弟子たち』は 大蔵出版より出版されています。 大蔵出版(株)のホームページへはこちら。 仏教書総目録刊行会へはこちら。 |
■ 『聞き語り お釈迦さまのお弟子たち』目次 |
・第一集 ![]() 序に代えて 居眠りアーヌルダ ぼんやりシュリハンドク 芥子の実とキサゴータミー 密行ラーフラ 親なしサーヤ 毒箭の喩えとマーロンキャプッタ 悪逆の堤婆達多 スダッタ長者の布施 説法第一の富楼那 思いやりのマリッカー夫人 弾琴の喩えとソーナコーリビーサ アングリマーラの悲劇 養母のマハー・パジャーパティ 解空第一のスブーティ カールダイン いま・昔 ・第二集 ![]() ピンドーラの功徳 ウパーリの役割 多聞第一のアーナンダ(その一) 多聞第一のアーナンダ(その二) 広説第一のカッチャーナ 頭陀第一のマハー・カッサパ(その一) 頭陀第一のマハー・カッサパ(その二) 従者チャンナ 下座行のダッバマッラプッタ ふっきれたナンダ 長寿第一のバックラ アンバパーリーの悟り ・第三集 ![]() 頓智第一のクマーラ・カッサパ 名医ジーバカ ラッタパーラの出家 最後の弟子スバッタ 苦渋のウッパラバンナー 神通第一のモッガラーナ 幼ともだち五比丘 仏教詩人のバンギーサ 輪廻転生のラーダ 増上慢のスナッカッタ ヤサと仲間たち 智慧第一のサーリプッタ(その一) 智慧第一のサーリプッタ(その二) |
■ 居眠りアーヌルダ |
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居眠りアーヌルダ 石上みね 高く聳える菩提樹の下では、お釈迦さまのお説法がはじまろうとしていました。おおぜいのお弟子たちは、お釈迦さまを中心にして取巻くように座っています。 空は青く、白い雲もお説法を聞くように、ゆったり流れています。涼しい風がサーッと吹き、人びとは生き返ったように元気になりました。 その頃、アーヌルダは托鉢に歩いていました。托鉢には朝まだ暗いうちに起きて出かけます。村中の家々を回って帰ってくる頃には、お日さまは高く輝き、道は白く乾いて、土ぼこりがもうもうと立っています。暑い暑いインドのことです。歩いているうちに、のどがカラカラに乾いてしまいました。水を飲みたいと思いましたが、そんな暇はありません。もうすぐお釈迦さまのお説法がはじまるからです。 遅れたら大変です。急げ急げ。白く乾いた道を飛ぶように走りました。 やっと間に合ったアーヌルダは、先に来て座っている人たちの邪魔にならないように、そっと輪の中に座ってお説法に聞き入りました。お説法は、転法輪(てんぽうりん)といいます。お釈迦さまのお声は本当に美しく涼やかで、お言葉は滑らかで玉を転がすようです。 菩提樹の高い梢を吹き抜ける風は、遠い山の万年雪から生まれた、冷たい風でした。暑い道を急いで走って来たアーヌルダは、涼しい風にホッとすると、どうしたことでしょう、急に眠くて眠くてたまらなくなりました。これではいけないと、目をこすったり、膝をつねったり、鼻をつまんだりしてみましたが、どうしてもまぶたがくっついてしまうのです。 無理もありません。小鳥は迦陵頻伽(かりょうびんが)のように美しく可愛い声で囀っていますし、涼しい風はほてった体を冷やしてくれますし、そして何よりも、尊敬するお釈迦さまの優しいお声は聞こえてきますし……。ムニャムニャムニャ、いつかコックリコックリと、いい気持ちで寝込んでしまいました。 ![]() 「今日の私の説法は、とりわけ大事な所だ。そのように大事な説法を、居眠りをして聞き損なうのは、安逸をむさぼる心があるためだ」 と、お釈迦さまはアーヌルダをきつくお叱りになりました。 アーヌルダは恥ずかしさと、自分に対する怒りのため、どうしたらよいか分りませんでした。深くお辞儀をして謝りながら「もう決して眠ることは致しません」と心に誓いました。 それからのアーヌルダは、いよいよ修行に精進し、しかも心に誓ったとおり、眠ることをしませんでした。 そのうちアーヌルダの肉体はだんだん弱り、殊に目は睡眠不足のためにただれてしまいました。お釈迦さまは大変ご心配になり、何度もアーヌルダに無理をしないように、ご忠告になりました。 「修行は、あまり体をいじめると心が乱れ、心が怠けると人間は堕落し、善悪の区別がつかなくなる。中道が一番尊いのだ。悟りを開くのは、中道でなければいけない」 けれどもアーヌルダは、お釈迦さまのお気持ちを有難いと思いながら、心に誓ったことを破りたくないい一心で、やはり眠ることをしませんでした。目はどんどん弱っていきます。このままでは失明してしまうかも知れません。お釈迦さまは、医者のジーバカに診察をお頼みになりましたが、アーヌルダがどうしても眠らないものですから、どうしようもありません。 とうとうアーヌルダは失明してしまいました。目が見えなくなってから、雑念が入らないからでしょうか、この世の中に起きるいろいろなことがらの因果の理を、アーヌルダは目の見える人よりも、正しくつかむことができるようになりました。 肉体の目はつぶれましたが、その反対に心の眼が開いて、かえってものごとの本当のすがたが見えるようになりました。人々は、アーヌルダを尊敬するようになりました。“居眠りアーヌルダ”は“天眼(てんげん)アーヌルダ”と呼ばれるようになりました。 それから何年か経ちました。アーヌルダは、相変わらず托鉢をし、経典を唱え、修行を怠りませんでした。いつも着ているお袈裟がビリビリに破れていまいました。 誰かが「どうぞ綻びをつくろって下さい」と、新しい小布を供養してくれました。 アーヌルダは手さぐりで袈裟をつくろおうとしましたが、目が見えないものですから針に糸を通すことができません。「誰か手を貸してくれないものか」と、ひとりごとを言いながら、何度も何度も針孔に糸を通そうとして、失敗してしまいました。 その時です。 「どうか、私に功徳を積ませてください」 と入ってきた人がありました。針に一度で糸が通りました。袈裟の綻びもたちまちつくろえました。 「誰方か存じませんが、有難うございました」 と言って、アーヌルダは今、戸口を出て行った人のうしろ姿を拝みました。 すると、表が急に騒がしくなりました。 「お釈迦さまだ」 「お釈迦さまだ」 「お釈迦さまが、アーヌルダの所へ、何しにいらしたのだろう」 と、人びとは口ぐちに叫び合いました。 「あの尊いお釈迦さまが、わざわざいらして下さった。しかも困っている私を助けて、針に糸を通してくださった」 アーヌルダの見えない目から、涙がボロボロと流れ落ちました。 世尊と呼ばれ、悟りを開かれたお釈迦さまでさえ、なお功徳を積むという修行に励んでいらっしゃるのです。なんと尊いお方であろうかという感動が、体の中からブルブルと震えるほどの力になって湧き起こり、思わず涙が流れたのです。 アーヌルダの肉体の目は見えなくても、心眼はしっかりと、あの尊く気高いお釈迦さまのおすがたをとらえていました。 |
■ ぼんやりシュリハンドク |
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ぼんやりシュリハンドク 石上みね 掃いても掃いても落ちてくる山のような木の葉を、シュリハンドクはもう何時間も箒を握って掃き清めていました。ここは祇園精舎、大勢のお弟子たちが集まって来て、お釈迦さまのお説法を聞く道場です。誰もがすがすがしい気持ちで、お説法を聞けるように道場はいつもきれいに掃除が行き届いています。シュリハンドクのお陰です。でも、大勢人が集まると、どうしても汚れてしまいます。シュリハンドクは朝から晩まで、お掃除の手を休めたことがありません。 シュリハンドクは可哀そうに、生まれついての智慧おくれです。それも大分ひどい智慧おくれでした。何しろ自分の名前だって覚えられなかったのですから・・・。人から名前を呼ばれてもボンヤリしていて返事もしません。誰かに注意されてやっと自分が呼ばれていることに気が付くくらいです。 そのようなわけで、小さい時からいつもいじめられッ子でした。棒でつつかれたり、ツバを吐きかけられたりしていました。いつの時代にもいじめッ子っているものですね。 シュリハンドクは自分の名前さえ覚えられないくらいですから、何を教わっても片ッぱしから忘れてしまいます。ついには教える人は張り合いがなくなって誰も教えてくれなくなりました。誰にも相手にされなくてシュリハンドクは、いつも一人ぼっちでした。 お釈迦さまが祇園精舎でお説法をなさることを聞いた修行者たちにまじって、どうしたことか、いつのまにかシュリハンドクが座っているようになりました。相変わらずボンヤリとした顔で一日中座っていました。お説法を聞いても、分かっているのか分からないのか、皆で自分たちの考えたことを話し合っているときも、ただ黙って座っているだけです。あまりボンヤリした顔をしているものですから、ついからかいたくなったのか、 「オイ、シュリハンドク、お前のように頭の悪いヤツは、いくらお説法を聞いても無駄だ。帰れ、帰れ」 「一番早くから来て座っているのだから少しは分かったか、分かったら話してみろ」などと意地悪を言う人も出てきました。何を言われてもからかわれても、シュリハンドクは、ただニヤニヤ笑っているだけでした。お釈迦さまのお声を聞くだけで涼しい風が体の中に流れ込んでくるようでした。優しい目でこちらをご覧になると、それだけで美しい光がさし込んでくるような気がしました。ほかのお弟子たちに意地悪を言われようとからかわれようと、毎日シュリハンドクは何かに引きずられるように道場に来て一人きりで座っていました。 そのような姿をお釈迦さまは遠くからジッと見ていらっしゃいました。ある日、シュリハンドクをそばにお呼びになり、こう言われました。 「シュリハンドクよ。お前はこの道場の掃除の番をしなさい。皆が気持ちよく集まってこられるようにすることも大事な仕事だよ」 それからのシュリハンドクは、朝から晩まで箒を手放すことがありません。初めは掃除も下手でしたが、そのうちにだんだん上手になってきました。シュリハンドクが掃いた所は、いつまでも箒の目がついていました。水をまくとサーッと涼しい風が起こって、皆は本当に気持ちよくなりました。 ![]() 「なんだか……ゴミがどうとか言っているゾ。……アカがどうとか言ってるゾ」 「やっぱり掃除が厭なんだ。飽きてしまったんだ」 わけの分からないことなので人々は余計に気になって、ああでもない、こうでもないと、ワイワイガヤガヤ話し合いました。けれどもシュリハンドクは人々の声などまるで気にしないで、というよりも周りに気を遣うようなこともできないほど、気がきかない性格だったのかも知れません。相変わらずブツブツつぶやきながら一日中お掃除をしていました。 そのうち、お弟子の中でも落ち着いた徳の高い人が、耳を澄ましてシュリハンドクの声を聞き分けました。そのお弟子はビックリして自分の耳を疑いました。 「心のアカを洗い流そう。心のゴミを掃き出そう」 何とシュリハンドクはこの二つの言葉を朝から晩まで口の中でつぶやきながら、お掃除をしていたのです。あのボンヤリの、馬鹿だノロマだと皆にからかわれていたシュリハンドクが、このように大事なことを覚えてしかも実践していたのです。そのお弟子はすぐに長老と呼ばれる人に報告しました。長老もビックリしました。 「何とそれは、お説法を聞く者の一番大切な、懺悔のことではないか。お弟子として一番大事な心構えがあのシュリハンドクに分かっていたのか」 長老はすぐ、お釈迦さまにお話ししました。お釈迦さまは少しも驚かれず、ただニッコリお笑いになっただけです。お釈迦さまには何もかも分かっておられたのです。お釈迦さまの教えを守って、一心にお掃除をするうちに、シュリハンドクの心の中から修行の妨げになるゴミやアカが、いつのまにか洗い流されてきれいに耕された畠のようになっていたのです。そこへお説法を聞けば、よく耕された土に立派な種が蒔かれ、太陽や雨に助けられて見事に植物が育つのと同じことです。 智慧おくれでお説法の内容がよく分からなくても、一生懸命信じて修行をしているうちに、一番大切なことが知らず知らずのうちに身についていたのです。こういうことを「法門毛孔(もうく)より入る」と経文に書いてあります。落ちこぼれの劣等生が満塁逆転ホームランをかっ飛ばしたようなものですね。懺悔をなし終わったシュリハンドクは、それからも怠らず修行に励みました。そして、多くの優れたお弟子たちの中から選ばれて記別(きべつ)を受け、普明如来(ふみょうにょらい)と呼ばれるようになったということです。 |
■ 芥子の実とキサゴータミー |
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芥子の実とキサゴータミー 石上みね 町一番の裕福な商家の若い嫁のキサゴータミーは、今、幸福の絶頂にいました。キサゴータミーの生まれた家は貧乏で、いつもきりつめた生活をしていました。小さい時から金持ちの生活を外から眺めて、自分もいつかはという強い願いを持つようになりました。その時代のことですから、女の人が金持ちになる手っとり早い方法は、長者と結婚することです。願い通り一番裕福な商人と結婚しました。 さあ、これからは赤ちゃんが欲しい、元気な男の子だとなおいい、どうか男の赤ちゃんが産めますように。これもまた願い通り、間もなく可愛い赤ちゃんが生まれました。商売はますます繁盛し、願ったものは全て手に入れました。全部が自分を中心にして都合よく動いているように思えました。 ところが、何ということでしょう。あんなに元気だった赤ちゃんが、病気になり八方手を尽くしたのに、あっ気なく死んでしまいました。キサゴータミーは赤ちゃんが死んだと聞かされても、どうしても信じることができません。ついこの間まで太った指で私の乳房をピチャピチャ叩き、ゴックンゴックンお乳を飲んでいたのに。あやせばキャッキャッと笑い、這い這いも上手にしたのに。 ![]() と、冷たくなった赤ちゃんを抱いて、町中大きな声で叫びながら、一日中歩き回っていました。一日経ち二日経つうちに、赤ちゃんの亡骸からだんだん、いやな臭いがしだしました。キサゴータミーの着物も、一日中歩き回っているものですからボロボロになりました。 町の人たちは、もうキサゴータミーは気が狂ってしまったのだ、と噂し合っていました。ある親切な人が、 「祇園精舎にいらっしゃるお釈迦さまは、この世の苦しみを救って下さる方です。キサゴータミーもぜひ祇園精舎に行きなさい」 と勧めてくれました。 祇園精舎のお釈迦さまをたずねたキサゴータミーは、お釈迦さまに縋り付くようにして、 「私の赤ちゃんを生き返らせて下さい。お願いします。お願いします」 と恥も外聞もなく泣きくずれました。キサゴータミーはもう自分の赤ちゃん以外何も見えなくなってしまっていたのです。 お釈迦さまは、哀れなキサゴータミーをじっと見ていらっしゃいましたが、 「よし、よし、お前の苦しみを抜いてあげよう」 とやさしく約束して下さいました。キサゴータミーは、夢とばかり喜びました。 「お釈迦さま。本当ですか。本当ならこんな嬉しいことはありません。私の家は町一番のお金持ちです。どんな品物がお望みですか。どんなにお金がかかってもかまいません。何でもすぐに揃えられます」 お釈迦さまは「そうか、そうか」とうなずかれました。 「しかし、何も品物はいらないのだよ。ただ、芥子の実を五粒ほど持っておいで」 とおっしゃいました。キサゴータミーは、すっかり拍子抜けしてしまって、 「えッ、あの吹けば飛ぶような芥子粒でございますか」 と聞き返しました。 「そうだ。その芥子粒だ。しかしそれには条件があるのだよ。今までに一度も死んだ人のいない家から貰っておいで」 とお釈迦さまは静かにおっしゃいました。 「お易い御用です。すぐに貰って参ります」 キサゴータミーは、すぐに自分の赤ちゃんが生き返る期待で飛ぶように帰って行きました。 さっそく一軒の家に入って、「こちらの家に、死んだ人はいないでしょう」と、確かめますと、「あいにく、この間おじいさんが亡くなりました」という返事が返ってきました。 おやおや、これはいけない。でも隣の家ももう一つ隣の家もあるからたずねて行こうと、また別の家に入って行きました。 「ごめん下さい。こちらの家では死んだ人はいないでしょうね」 「誰にもやさしかったおばあさんがついこの間亡くなりました。私たちは悲しくて、今親類中が集まって思い出話をしているところです」 ここもまたごめんと被って、次の家に行きました。「こちらの家では、死んだ人はいないでしょうね」「この間十歳の男の子が死にました」 ここもまたお暇をして、次の家をたずねました。「女の子が、……」、「お嫁さんが……」、「働き盛りの主人が……」と、死人が一人も出ない家はありませんでした。 キサゴータミーは歩き疲れて、もう口もきけません。たった五粒の芥子粒がまだ揃えられません。どうしたらよいのでしょう。キサゴータミーはまたお釈迦さまの所へ行って訴えました。 「お釈迦さま。私は九百九十九軒の家をたずねましたが、死人の出ない家はありません。芥子粒が手に入らなければ、あの子は帰って来ません。お釈迦さまは、私の苦しみを抜いてやると約束して下さったのに、あれは嘘をおっしゃったのですか」 この間は泣いて縋ったのに今度は約束が違うと文句を言ったのです。お釈迦さまは相変わらず静かに「そうか、そうか」とうなずいていらっしゃるだけです。 キサゴータミーが言うようにお釈迦さまは嘘をつかれたのでしょうか。そうではありません。方々の家をたずね歩いて世間解(せけんげ)を身に付ける時間をお与えになったのです。死人を一人も出さない家など一軒もないのだということを、キサゴータミーが身を以て知るために方便として芥子粒を集めさせられたのです。でもまだ狂ったキサゴータミーはお釈迦さまの深いお心を知ることができません。 「キサゴータミーよ。お前は九百九十九軒の家を歩いたと言ったね。でもまだ町外れの一軒家はたずねていないな。あの家に行ってから私の所へもう一度おいで」 と、お釈迦さまはおっしゃいました。 キサゴータミーは、その家こそが誰も死んだ人のいない家なのかも知れない。お釈迦さまがわざわざ町外れの一軒家と教えて下さったのだから、きっとその家から芥子粒が貰えるかも知れない、そうしたらすぐ私の赤ちゃんが生き返る。喜び勇んでキサゴータミーは町外れの一軒家をたずねました。 その家はよく耕された畠の中にあって、裏の牛小屋には子牛が元気に遊んでいました。お百姓の夫婦は、畠のそばの道ばたに咲いている花を沢山つんでいました。何か楽しそうに話し合っています。お百姓さんが何か言うと、おカミさんは笑い転げ、しまいには笑い過ぎて涙が出たのでしょう、前かけで目をふきながらまた思い出しては笑っています。誰が見ても本当に幸せそうな夫婦でした。キサゴータミーはここだと思いました。ここなら死んだ人などいないのだろう、あんなに幸せそうなのだもの。 「こんにちは。私は死んだ赤ちゃんを生き返らすために芥子粒を貰いに歩いています。ただ誰も死んだ人のいない家からでないと貰えないので、こうして方々捜し歩いているのです。あなた方はいかにも幸せそうに見えますね。ところで、お子さん方の姿が見えませんけれど、今どこかに出かけているのですか」 キサゴータミーは話しかけました。お百姓さんは静かに答えました。 「子どもたちですか。三人いますよ。三人とも今は、山の向こうのお墓に眠っています」 キサゴータミーは、びっくりするやらがっかりするやらで、倒れそうになりました。 「お墓にですって。それでは、三人とも亡くなられたのですか。それなのに、どうしてそんなに楽しそうにお花をつみながら笑っているのですか。おカミさんが涙が出るほど笑い転げているのはどうしてですか」 「ええ。今は子どもたちに会いたいと思うとき、こうして、お花をつんで持って行くのです。三人とも元気ないたずら者で、殊に一番下の子は手が付けられないほどのワンパクで。よくよその家のバアさまから、どうしてこんなにワルサをするのかとどなり込まれたものですよ。そのたびに夫婦でペコペコ頭を下げてあやまりました。でもワルサをすればするほど、親からみれば可愛くってね……」 お百姓さんはこみ上げる思いに堪えるように、顔をちょっとしかめました。しばらくして何かを思い切るように頭をふって、また静かに話し出しました。 「ちょうど三年前の、夏も終わりに近づいた、ある日のことでした。十日も降り続いた大雨がやっと止んだ夕方、久しぶりの晴れ間なので牛を水浴びさせてやろうと三人の子どもは河原に行きました。大雨で増水した河の恐ろしさを、まだ子どもたちは知らなかったのです。 いつもと同じように牛を水に入れた途端、激しい流れに足をとられて、子どもと牛は溺れてしまいました。それはアッという間の出来事でした。報せを聞いて近所の人たちも皆かけつけてくれましたが、翌日死体になってずっと川下の方で見つかりました。私の大事な三人の子どもが、ほんの少し目を放したすきに、三人とも死んでしまいました。もう悲しいなんてものじゃない。悲し過ぎると、涙も出ませんよ。七日七晩ボーッとしていました。そして八日目の朝、夫婦でもう生きている意味もなくなった、死んだ子どもたちの所へ行こうと相談しました。どうしたら死ねるだろう。そうだ、牛小屋のあの大きな梁に縄を吊して首をくくって死のう。夫婦で牛小屋へ行きました。 と何か動くものがあります。よく見ると生まれたばかりの子牛です。母牛が三人の子どもたちと一緒に死んでしまったので、お乳も飲めずに体が弱っている様子です。これはいけない。神さまのお使いの牛を死なせては大変だ。慌ててお粥をつくり水を飲ませました。子牛はすぐに元気になって立ち上がりました。 子牛を助けたらさあ今度は私たちが死ぬ番だ。一番太い梁に縄をかけて二人で首を吊り、下の踏み台を力いっぱい蹴飛ばしました。さあもう死ねる。死んで三人の子どもにすぐ会える。そう思って目をつむりました。さあ縄が締まって苦しくなってそして死ねる。もうすぐだ・・・・・・。でも一向に苦しくなりません。もちろん首も絞まらず死ねそうもありません。 おや、おかしいぞ。足許をよく見ると蹴飛ばしたはずの踏み台の代りに、子牛がいつの間にか立って私たちを支えてくれていたのです。目に涙をいっぱい溜めて、私たちをジーッと見ていました。悪かった。悪かった。お前の目の前でこんなことをしてはいけなかったのだ。と言うと、嬉しそうにすり寄って「モー」と鳴きました。 ![]() これはいけない。可哀そうにこれではみな枯れてしまう。大急ぎで河から水を汲み上げて畠に水をかけました。しおれていた苗たちは水を吸い上げてたちまちシャンと真っ直ぐに伸びました。「よかったナ、よかったナ」という声がどこからともなく聞こえてきました。 さっきの牛といいこの植えたばかりの苗といい、まだまだ小さいから自分の力だけでは生きていけない。世話をする者がいなくては、すぐ死んだり枯れたりしてしまうのです。この牛や苗たちが育つまで私たちが世話をしよう。それから死んだらいい。そう思って山から帰って来ました。牛はどんどん大きくなり、もう母牛になりました。苗たちも育って立派な木の実を沢山付けました。そして、私たちが夢中になって牛や苗を育てているうちに、いつの間にか三年も経っていました。 初めは泣いてばかりいた妻もだんだん諦めがついたのか、この頃は涙を出さなくなりました。やっと少し元気になった妻の顔を見ると、私も嬉しくってね、子どもが元気でワンパクだった頃の話をすると、ホラ、こんなに笑うようになりましたよ」 お百姓さんの長いお話が終わりました。 「そうだったのですか。それでおカミさんはあんなに笑っていたのですね。でも、そんな悲しく苦しい目に遭ってもよく我慢なさいましたね」 キサゴータミーはフーッと溜め息をつきました。何だか体の力がスーッと抜けていくような、それでいて何か別の力が湧いてくるような、不思議な気持ちになっていました。でも、あんなに自分の赤ちゃんを生き返らせようと歩き回ったことが、もうずっと昔のことのように思われてきました。 キサゴータミーは、祇園精舎のお釈迦さまの所へ行きました。 「お釈迦さま、芥子の実はとうとう集められませんでした。でも、赤ん坊をなくして悲しんでいるのは、私だけではないということがよく分かりました。すぐこの亡骸を埋葬してやります」 「そうか。そうしてやりなさい。ところで、キサゴータミーよ。お前は赤ん坊を生き返らすため歩き回っていたのだが、お前の赤ん坊が残して行った大きな仕事に気が付いたかね」 と、お釈迦さまはおっしゃいました。 「仕事ですって。お釈迦さま、何をおっしゃるのですか。私の子どもは、まだほんの赤ん坊でしたよ。世話をするのは私ですよ。あの小さな赤ん坊が仕事などするものですか」 キサゴータミーは呆れてこう言いました。 「そうか、お前はそう思っているのか。でも、お百姓さんにもう一度生きる力を与えたのは生まれたばかりの子牛や苗たちではないか。お前を私の所へよこしたのは、抱いているその亡骸ではないのか」 キサゴータミーは、脳天をガーンと叩かれたような気がしました。そうだったのか、お釈迦さまに会えるようにしてくれたのはこの亡骸だったのか。抱いていた小さな亡骸が、一瞬金色に輝く小さな仏さまのお姿のように見えました。 キサゴータミーはそれからは、自分が生まれ変わったような気持ちでお釈迦さまのお弟子になり、一生懸命修行をするようになりました。 |
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